日時 2016年7月30日(土)16:00-18:00
場所 国連大学
▼モデレーター
長谷川祐弘元(国連事務総長特別代表。 国連協会、国連学会理事)
▼開会の辞・コメンテーター
宮島昭夫(内閣府国際平和協力本部事務局長)
▼報告者
上杉勇司 (早稲田大学国際学術院 国際教養学部教授)
藤重博美 (法政大学グローバル教養学部准教授)
吉崎知典 (防衛研究所政策シュミレーション担当特別研究官)
本多倫彬 (キャノングローバル戦略研究所研究員)
▼コメンテーター
川口知恵 (JICA研究所 研究員(平和と開発) )
田中(坂部)友佳子 (早稲田大学政治経済学術院 助手)
<議事録>
* 報告者とコメンテーターは個人の資格で参加したものであり、発表内容は所属する組織の意見・見解ではない。
宮島
日本が国連に加盟して60周年。PKO法が制定されて来年で25年。わが国で初めて自衛隊を海外派遣したときは国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)だった。93年4月国連ボランティア(UNV)の中田さんが凶弾に倒れて、私はプノンペンでご両親とともに遺体に対面し遺骨を持って帰ってきた。5月には文民警察官の高田警視が殺害され、官邸で自衛隊をPKOから撤退させるかを検討する、といった場にもいた。また、2007年から4年間、日本が平和構築委員会の議長や安保理非常任メンバーだったときに、国連代表部にいた。その後外務本省で国連担当大使をした。このように、中東やアフリカの平和と安定の議論に長く関わってきた。今年2月内閣府PKO事務局長に就任した。PKOとのご縁を感じている。
PKO事務局は、自衛官や文民要員を派遣する以外にもさまざまな形で、紛争起因の危機に、選挙監視など物的にも人的にも協力してきた。総理が本部長、官房長官が副本部長、関係大臣が本部員を務め、実施計画の作成や実施を事務局が担当する。日本はこれまで12,000人を13のミッションに派遣してきた。現在は国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)に施設部隊350名と、司令部に4名を派遣。人数的には世界で55番目。PKOの予算に対して財政面では2015年度までは世界2位の貢献をしていた。中国が上回って今年は3位だ。人的にも財政的にも貢献してきたといえる。
安倍総理は、国際協調主義を掲げ、テロ等国境をまたがるあらゆる危機への対応を表明した。一国では平和を維持できない時代だ。日本には経済力と技術力がある。日本には憲法の制約もあるが、その中でさらにPKOに、プロ・アクティブに貢献できないか模索している。
日本は7月、安保理で議長国を務めた。28日にアフリカにおける平和構築というテーマで公開討論を行い、制度構築の重要性を岸田大臣が強調した。またアフリカではじめてアフリカ国際開発会議(TICAD)を開催する。ナイロビで8月末に行う。安倍総理が出席し、平和構築を含むアフリカの繁栄について、アフリカ各国の首脳たちと議論する。
オールジャパンということで、個人的な意見を述べたい。南スーダンの人口は1,000万人ほど。ほとんど戦争だけをしてきて、経済は疲弊した。行政や上下水道などインフラも未整備。学校に行く子どもも少ない。識字率は低い。国民の4分の一は避難民。一方、石油に頼り、産業がない。油価が落ちてきて、多くの国民は飢えている。そんな国が2011年夏に独立した。国際社会もなんとか助けないといけない、ということでUNMISSが設立された。UNMISSにはアジアのたくさんの国の要員が派遣されている。日本隊350人のうち13名が女性。日中は40度を超えるなか、士気高く活動している。
南スーダンはいま、危機に直面している。7月初めからの政府軍兵士と元政府軍兵士の衝突で、死者も多数出ている。宿営地に難民が押し寄せている。給料が何か月も払われていないので、略奪行為もある。JICA関係者を含む邦人はほとんど全員退避した。
現在、自衛隊施設部隊は、国内難民用の施設整備や食料補給など、安全が確保されているところでさまざまな支援活動をしている。UNMISSの軍事要員は休暇が取り消され任務についている。
Sustaining Peaceという言葉がある。脆弱国家において平和の定着は困難。PKO後も半数以上で危機が再発してしまう。そのためにもシームレスな対応が必要で、あらゆるステークホルダーを入れるべきだという声が高まっている。治安部門改革(SSR)や動員・武装解除・社会再統合(DDR)、UNMISSのミッションのコアでもある文民保護、さらに行政支援など複合的なミッションになってきた。人道支援NGOなどUNMISS以外のプレイヤーとも協働している。
日本が効果的に貢献するには、開発や人道の強みのあるJICAなどとネットワークをつくって連携する必要がある。オールジャパン連携による国造り・人づくりを通じ、信頼関係・友情といったハートのこもったものを現地に残せると思っている。わが国の存在感もオールジャパンとして示されれば良い。
日本のUNMISSの派遣部隊もODA連携を試みてきた。運動場を重機でつくったりした。スポーツで汗を流して、お互い称えあうような平和の文化を根付かせたいという思いからだ。南スーダンの学生に対して車両整備、IT、裁縫、など技術研修する「さくらプロジェクト」をやってきた。ナイル川に橋をかけるプロジェクトでは、実際に「さくらプロジェクト」で研修を受けた南スーダンの若者が働いている。
ODAとPKOの連携が唱えられているが、現場ではいろいろ課題がある。現地のニーズとあっているか。現地住民だけではなく、現地政府のニーズをも考えないといけない。またPKO側のニーズもある。UNMISSにとっての優先順位とJICAによる支援の全体となる現地政府の優先順位が一致するとは限らない。そのため自衛隊による運動場の整備や「さくらプロジェクト」は休日のボランティア業務としての位置づけだった。なんとか本業でODA連携ができないかと思っている。連携はJICAにも自衛隊にもWin-Winだと確信している。JICAは退避したが、南スーダン人の現地スタッフはいるし、自衛隊員もいる。引き続き地道なPKO・ODA連携の努力が続いていってほしい。
脆弱で不安定な国には危機管理という意味でのオールジャパンも大事だ。万が一のときのための準備やネットワークが重要だ。今回の危機に際しても、JICAのチャーター機が飛んで、自衛隊のC130が飛んできた。こういったところで連携が作ればよい。
カンボジアに関連したエピソードがある。南スーダンではカンボジアの要員が病院を運営している。カンボジアで日本は、日本カンボジア友好橋をつくるなど貢献した。「カンボジアで日本は貢献した。今度は日本と協力して南スーダンの平和構築に取り組みたい」と話すカンボジアの隊員たちがいた。この病院は日本隊からは診察料を一切請求しないと聞いた。
PKO法改正後、国連が統括しないPKO活動にも日本は参加可能になった。新たな課題に取り組んでいきたい。今年5月、カンボジアで殉職された中田さんのお父様の中田武仁さんが亡くなられた。息子の遺志を継いで精力的に活動されてきた。こういった先人たちの意思を継いでいきたい。
今日は実務や経験を積み重ねられてきた方々との議論の中で、今後のためのアイディアを何か発見できればと思う。
吉崎
本書の概要を説明し、問題意識を共有したい。まずオールジャパンとは何か。全政府型アプローチや3D(Defense, Development, Diplomacy)アプローチといった名前もあるが、あえてオールジャパンとした。なぜか。オールジャパンとは何か。心を一つにして、JAPANとは一体何なのか、日本的なものをもう一度見直し、50年の歴史をもつ国際平和活動を見直したいと考えた。
理念だけではだめだ。誰がアクターなのか考えてみる。国際社会を考えたときは、国が必然的に挙げられる。自衛隊、国連職員、JICA、NGO、さまざまなアクターがいてはじめてJoint Missionがでてくる。アクターごとに、どういった組み合わせが良いのか。どういった強みがあるのか。ギャップがあるなら、どう埋めれば良いのか。
このような研究会は10年やっている。民軍関係からはじまり、不断の対話を続けてきた。PKOに関して、できることできないことある。組織のあり方をお互い理解する事が大切だと思う。
ケーススタディ(事例)も大切。南スーダンなどは、治安が確保できないと開発が望めない。外交・開発・軍事の3つを組み合わせるには治安が必須だ。しかし自衛隊では制限がある。法律を変えるだけではなく、訓練や装備が必要。また国民の理解も必要。結果を出せるPKOを考えるなら、各地域の事例を見直していくべき。各地の専門家の知見を反映し、この本を編集した。
オールジャパンの考え方は2つ。1つは戦略性。国家安全保障戦略。国とは何か、国益とは何か、その中ですべきことは何か。トップダウンのアプローチ。
しかし紛争は想像しないような形で起こる。現場のニーズを考えたとき、サプライサイドの戦略性は難しい。現場のボトムアップも大事。いかにニーズを吸い上げるか。国連のクラスター・アプローチに学ぶところも多い。これがオールジャパンの課題。
藤重
国際的潮流とイギリスの全員参加型アプローチを紹介したい。冷戦中は全く別物だった軍事と開発が、冷戦後接近してきた。日本はまだまだだと国際的視点から10年ほど研究してきた。
国際的に、他の先進国の例をみて、一般的な方向性と日本を比較した。民軍連携が、どのように進んできたか。イギリスなどと日本はどう違うか紹介したい。
安全保障・軍事と開発の接点が冷戦後増えた。国家的なものではなく、テロや内戦などが増えてきたことが背景にある。2001年の9月のテロとその後のアフガンの対テロ戦で、いっきに加速した。
アフガンで地方復興チーム(PRT)が、国際治安支援部隊(ISAF)の対テロ戦の一環として出てきた。文民がISAFの軍隊にエスコートされながら、各地で開発に従事した。結果的に上手くいかなかった。成功の指標をアフガンの安定とするなら、上手くいかなかった。安全保障や軍の論理に重きを置いたのが要因。なぜ開発支援を治安の悪いところでしたかというと、ばらまきをすることによって、支持を得ようとしたからだ。NATOでもこれを認識した。5年後、2006年ごろNATO諸国が失敗だったと認識し始めた。軍事組織であるNATOが2008年のブカレスト・サミットで民軍連携は軍の論理では成功しないと結論づけた。現地の人の目線で、文民の目線でやるべきだとなった。
開発の方では、経済協力・開発機構、開発援助委員会(OECD DAC)で積極的に民軍連携に関する議論が行われてきた。全政府アプローチなどの話が出てきた。
結論としては、民軍連携は文民を主体にするということ。開発援助だけでなく、警察などの文民アクターも関与すべきだということ。その2つが新しい考え方としてでてきた。ノルウェー、オランダ、スウェーデン、特にイギリスが3Dでやってきて上手くいってきた。イギリスの場合、政治的なリーダーシップがはっきりあった。国のトップ・レベル(首相)の意思が下(閣僚/役所)に降りていった。また3つの組織から出向者を集めた3Dアプローチをするための組織や資金源がある。このあたりが日本の参考になる。
長谷川
吉崎さんが、治安確保が開発のために重要だとした。しかし治安部隊を連れて開発を行ったPRTは成功しなかった。上杉さんが成功する条件について話す。
上杉
オールジャパンの定義をしなかったが、それは意図的。政府の決まった定義もない。議論上、最低限の定義を定めようとしたとき、ふわっとした定義の方が、それぞれの理論で話にのってくるので、ふわっとしたものの方が良いかもしれないとなった。
省庁間連携というのが土台にある。防衛省・自衛隊、外務省、JICAなど日本を代表して国際協力に関わるアクター間の連携だ。またNGOや企業などを入れた、官民連携もある。ミンダナオでは広島大学や政策研究大学院大学も関わっていた。大学も関われる。
目的の大前提は援助効果の最大化。そこを妥協せざるをえない結果になるなら、日本アクターで組むのがベストでないときもある。
付随効果としては2点。1点目は国内の広報効果。限られた資源のなか、上手く連携して支援をしているということを説明し、国民の国際協力に関する理解を得る。省庁の人はオールジャパンに関してそういう位置づけをする。2点目は外交効果。近年日本のプレゼンスが小さくなってきた。量では中国に勝てない。上手く組み合わせて質の高い支援をしていることを対外的に(ドナー国、国連のアクター、ホスト国政府、現地の国民に)示す必要がある。
議論のなかで最大の摩擦があった。NGOの立場からは、外交効果や広報効果など二の次。NGOにとっては援助効果が最優先だ。援助効果がベストであればオールジャパンを使う。ツールとして使う。
書籍では高坂正堯氏の言葉を引用した。目的と手段は相互に密接に絡む。目的と手段との間の生き生きとした会話で戦略がでてくる。実際にはオールジャパンは手段であり目的でもあるのかもしれない。
オールジャパン連携をやる上での課題は三つ。まず第1に、国連要員として派遣されている自衛隊がブルーヘルメットとしてではなく日の丸として動いて良いのかということ。オールジャパン連携ばかりを重視すると日本は自分のことばかりと批判される。だからこそ国連PKOマンデートのなかで連携をしてきた。
二つめ。オールジャパン連携が行われている場所では、いつもそこには自衛隊がいた。オールジャパン連携をしたくても自衛隊が南スーダンにしかいなくては、他の場所ではできない。オールジャパン連携のメインアクターを自衛隊として考えると、やっている場所が少ないので拡張できない。また自衛隊はジュバなど首都にいるが、地方にもいるJICAと連携するには、地方にも展開しないとできない。
三つ目。日本のオールジャパン連携は2000年くらいから文民主体だったといえる。3Dのアクターが開発のために力を合わせてきた。JICAのプロジェクトのために、自衛隊のブルドーザーで整地をする。NGOが公園の整備をする際に、がれきの除去を自衛隊に依頼。常に施設部隊だったから、それが前提だったから連携ができていた。
オールジャパン連携が成功する条件だが、治安がある程度安定しているところであれば、復興支援としてオールジャパン連携は有効だ。しかしアフガンなど治安の問題があるところでオールジャパン連携はできない。これは、日本は今後どうするのかという問題提起である。他の国に治安を安定させてもらって、安定してからと割り切って得意分野を生かしていくのか。または治安の悪いとこでも知恵を絞って頑張るのか。後者に関してはまだ議論をする段階にはないのかもしれない。
本多
東ティモールのケースの話をする。2000年代初頭はオールジャパン連携にとって、オールジャパン連携的なものが出てきたときであった。国際平和協力懇談会で、ODAとPKOの連携を強めようという提言が出てきた時期。現地でも試みられてきた。自衛隊の資機材を現地に残し、それを開発に使っていこうというもの。本書において、リレー型といわれるもの。カンボジアのときの反省から(できなかった)、東ティモールではそうしていこうと決まっていた。ただ置きっぱなしでなく、要員のトレーニングをしようという話が出てきた。操作やメンテナンスや土木工事の企画や施工の仕方などの教育訓練をしていた。国連から自衛隊に与えられた主任務は他部隊の後方支援だったが、コミュニティ支援も求められていた。実地研修(OJT)も盛り込んで、現地の人が使えるようにしてきた。しかし撤収時に、将来使ってもらえるか不安という懸念も自衛官は抱いていた。それでPKOの撤収後に機材と活動をODAで引き継ぐリレー型の発想が生まれた。
外務省の視点からこの事例をみてみる。東ティモール支援は、対テロ時代に日本も貢献しているアピールをする必要があったことから力を入れていた。また日本にとって平和構築のはじめての事例だった。
JICAにおいては援助ギャップの解消について話題になっていた。緊急支援と開発援助をシームレスに行う必要性を感じていた。
自衛隊は置いていく資機材の活用を含めて自分たちの活動成果をつなぎたかった。
この三つの組織のモチベーションが、自衛隊の資機材をODAで継続して使ってゆくという方向に繋がっていった。東ティモールのインフラ担当省庁に資機材を管理する部署をつくってもらい、退役自衛官からなるNGOがトレーニングなどした。道路は東ティモールの基礎インフラ。移動は車しかない。インフラの継続的な支援は東ティモールにとって大きかった。
国内の広報効果だが、この事例は自衛隊が海外に行くのは土建業務だろうというイメージを国民に埋め込んだ。自衛隊ありきのきっかけにもなった。オールジャパン連携の原型が東ティモールで最初につくられた。
川口
自衛隊の部隊派遣を中心としたオールジャパン連携がケースとしても目立つし、注目が集まる。しかしPKOだけではなく、イラクのような事例における連携もあるし、ネパールのような個人要員派遣事例もある。
日本は連携の制度化よりも、フィールドの協力関係を重視して、そのときそのときの経験を積み重ねる形で連携を強化してきた。たとえば、ハイチ地震後の連携の経験が、フィリピン・台風ヨランダにおける国際緊急援助隊(JDR)、自衛隊、NGOなどの連携に生かされたように、経験を積み重ねてオールジャパン連携を発展させるのが日本的なオールジャパンの形と思う。
今後の課題の一つは、不安定な移行期における安全確保のための連携をどのように確保するのかという点である。
もう一つの課題は、災害に加え、シリア危機やパンデミックなど国境をまたぐ危機への対応である。ここに日本は何ができるのかを考えなければならない。その際にはオールジャパンのみならず、被災国および国際的なアクターとどう協調していくかを考える必要がある。
長谷川
田中さんは二年前に執筆された類似書籍で、自衛隊が東ティモールにおいて、日本アクターのみならず、「国際アクターとも連携した」事例を扱っている。
田中(坂部)
できる限りの支援を連携して行うという意識は現地のアクターにはあった。政策レベルにおける会合はなかったが、そのなかで模索してきた。自衛隊は、日本のアクター間だけではできなかった部分を、オーストラリアの部隊(またはUNDPなど)が関わって活動するといったようなことを柔軟に行ってきた。オールジャパンがふわっとした概念だったからこそ国際的なニーズに合致する支援が結果的にできていたのかもしれない。
いかに連携のための制度化をするか。東ティモールの時代にはなかったが、南スーダンあたりになってくると出てきた。オールジャパンが目的として見られるのではないかと言及があったが、OECD DACでは、全政府アプローチを手段としてみていた。一つの国として税金をいかに有効活用するか。可能な限り連携すべきであろうという話だった。
関係者の間の平時からの情報共有が大事だ。著者の間にある共通認識のひとつが、平時からの準備の重要性だ。顔を見合わせて事前に議論することが重要だとした。オールジャパンが日本政府の発案である限り、情報共有や人的交流のための制度化のリードは日本政府がやはりしないと他には出てこないだろう。
現行制度のもとオールジャパンを推進するための課題が、本書にはかなり具体的に書いてある。たとえば、フィリピンの事例章に示されていたような、JDR事務局と関係省庁との連携のための制度化という課題は参考になろう。
具体的な課題がある一方で、今後検討の余地がある課題は、部隊派遣を超えたオールジャパン連携だ。近年国際協調の場で提唱されたレジリエンスやコンティニュアムとは、危機が起きたときに、中長期的な視野で支援していく必要があるという考え方だ。同じように、紛争後の平和構築であれば紛争予防を視点に入れていくことが可能。DDRやSSR、法の支配等を、日本は平和構築の活動分野例として位置づけている。本書でいうリレー型連携はこうした潮流とも合致しており、現行の制度のもと、中長期的に各アクターがなにをできるか議論することが可能ではないか。
宮島
この議論は実務にも密接に関係する。国内広報面の効果に関していえば、PKOには戦争のために人を出しているのではなく平和をつくるために出しているのに、ネガティブなレッテルを張られてしまい残念に思う。実際なかなかPKOにおける任務も絵にならない。地味なので、事件でも起きないと記事にもならない。ただJICAやNGOと連携すると現地の人の笑顔とか、そういった絵がつくれるという面がある。もちろん絵をつくるためにやっているわけではないが。
また、行く前は、自衛隊員ははらはらどきどきしている。準備して、平和のために南スーダンの人のために頑張るぞと行く。しかし実際に現地では南スーダンの人との接触する機会は少ない。宿営地内の整備などが主な任務だからだ。「さくらプロジェクト」や孤児院訪問などを経て帰ってきた隊員は、やはり現地の人の笑顔やありがとうが、彼らの一番の思い出になっている。士気のうえでも重要である。
日本は施設だけではなく警察や医療、輸送などノウハウがあるので、もっと貢献できないのかという議論がある。自然災害派遣は国際緊急援助隊。紛争起因はPKO。医療はこれまで紛争起因(つまりPKO法)で送られたことはない。これまでの知見を活かして何とかできないかは容易でないが検討課題である。
要員派遣国の能力構築支援がPKOでは大事になっている。現在ケニアのナイロビでブルドーザーの使い方などの訓練を外務省の資金、自衛隊の専門家、内閣府のコーディネーターでやっている。要員派遣国の能力構築支援をJICAと組み合わせても良いのかもしれない。いろいろな可能性がある。
長谷川
日本がアフリカ施設部隊早期展開プロジェクト(ARDEC)を始めた。画期的なことで、是非調べてみてほしい。
――Q&A――
①質問者
戦うお金を供給するのを止めれば良いのではないかと思う。紛争予防のためにお金使ってほしい。
②質問者
オールジャパンと聞くとオリンピックが思いつく。国益だが、そのなかでスポーツマンシップも考える。そのように、大げさかもしれないが地球益のなかでオールジャパンはどういう意味であるのか。PKOに関して言うなら地球益はマンデート。重要な視点はマンデート・メイキングに関われないかということ。日本は今、安保理にいるので絡んでほしい。
オールジャパンにはPKO以外にもいろいろあるはず。ラモス・ホルタの報告書では政治が最重要だとしている。予防が大事。戦う軍隊はいらないと思う。なぜ軍がいるかというと、その政治の支援のため。政治軍事経済いろいろあるが、政治をどうやるかについて外務省は頑張ってほしい。
予防というのは、まさに人間の安全保障と言うことになる。人間の安全保障は、エンパワメントとプロテクション。だからオールジャパンを支える概念として人間の安全保障を全面に出していくべきだ。
A吉崎
スポイラー問題とよく言うが、和平プロセスを妨害する人たちや平和を嫌う人を、いかに平和のプロセスに入れるかとなると、コミュニティのエンパワメントがやはり必要だ。防衛大綱には人間の安全保障が前面には出てないが、大事だと確信している。PKOのフォース・コマンダー(軍司令官のポスト)をいかにとるかという議論がある。ここはマンデート・メイキングに関連している。中国は副司令官を取っている。
③質問者
ケースはたくさんあったが、研究の総合的な新しいシナジーが見えなかった。提案してほしい。この本を読んで、国民がもっとやるべきだと思うような提案はあるか。長谷川先生の視点からこうすれば良いのではないかとあったらご指摘ください。
A上杉
オールジャパン連携というものがそもそも新しい。JICAがPKO(自衛隊)と協力するという視点が新しい。さらに新しい点は事前オールジャパン連携。準備や訓練。事前に連携しないと難しい。また情報の共有が重要だという点が新しい。画になるであろう「一緒に井戸を掘りました」だけではなく、情報共有が大事。また、JDR法とPKO法で二分されている点を問題として提示している。ハイチなど紛争地において発生する災害において法的なグレーゾーンが生まれる。そこでどうにかできないかと思っている。
④質問者
上杉先生に質問。オールジャパンの総括や評価など、関わったアクターができる場があるのか。
⑤質問者
被災地に入ったなかで、アクターによって大きさが違うと認識した。フィールド・レベルでの連携に関して重点をおいた話なのか、それとも東京での連携なのか。具体的な連携の場が見えにくかった。
海外では、出向などを通じた多方面の経験で属人的なところで、連携の効果が高まっている。
A上杉
さまざまなレベルにおける連携が必要。トップレベルはできてきた。現場は蓄積してきた。大使館が旗振りを始めている。いよいよ制度ができるかというところ。しかし現場のボトムアップがトップダウンで覆されないかと懸念している。
A藤重(質問3, 4, 5に対して)
新しい形は何か。自衛隊ありきではない、という視点が新しい。自衛隊がないオールジャパン連携もあるという発想、発見がある。自衛隊ありきではNGO関係者が入りづらい。窓口を広げたと思う。三省庁連携はやはり予算。限られた予算をいかに最適化するか。なるべく少ない予算でなるべくインパクトのある支援をすることは、納税者の視点からみて有益である。
現場でふわっと出てきたのが今のオールジャパン連携。教訓を学び、無駄のない、オールジャパン連携を霞が関レベルでやっていくべき。政治的意思がないと動かない。
研究者としてはシンポジウムなどを通して国民に伝え、霞が関レベルまで伝えられていけばと思っている。官庁には人事異動がある。教訓を学ぶ過程が中断してしまう。ここを補足(教訓を蓄積)するのが研究者の仕事なのかと思う。
イギリスは大学の使い方が上手い。キングス・カレッジやバーミンガム大学などで長期的な委託研究がされ、その成果が政策形成に反映されている。こういった機能を作ることが大事かと思う。
⑥質問者
アフガンの事例でいうと、EUが警察支援団で入っている。ただ日本はトルコで警察支援をするなど、第3国で間接的にやっている。国内向きの官庁がいかにPKOに関わっているのか、ききたい。
A藤重
警察も連携調整の5省庁にイギリスでは入っている。ただ、立ち位置は全政府アプローチの中心となる省庁(外務省、国際開発省、国防省)と違って距離感がある。オーストラリアなどでは政府の立場から政策としての国際協力を積極的にやっている。
日本は法改正で治安部門改革に絡めるようになった。軍隊が軍隊としての知識を使って貢献可能になった。政治の力で前進があると良い。
⑦質問者
フィリピンなど国際緊急援助隊(JDR)の事例について聞きたい。
A 宮島
国連ネパール政治ミッション(UNMIN)がネパールから撤退させられたことがある。国連は中立性がないといわれ撤退させられた。しかし、ネパール地震(2015年)の際には、近隣国が自然災害に乗じて軍隊を入れてくる。
自衛隊も国際緊急援助隊(JDR)として医療隊を含めて入っていた。国連のPKOが行けない所でも国際緊急援助隊(JDR)で入れているところは重要。
A上杉
米軍や現地の軍事国家との仲介に自衛隊がいないと、日本のNGOは行動ができないから自衛隊がいることに価値はある。普段からできること、できないことを共有しておくことは大事だ。
⑧質問者
警察に関して。93年の高田ショックから次の派遣まで数年ある。警察という組織がそのショックを乗り越え、評価などできていたかと考えると、トラウマを乗り越えることすらしてなかった気がする。警察学校でも国内の組織だから、なぜ海外へ出ていくのかと言っている人がいた。文民警察官として仕事をしていくという感覚が警察にはかけているのかと思う。警察に対して最後の一押しはなんだろうか。
A藤重
秘策はある。警察法の改正。役人は政治の意思や法律に書いてあることに敏感。国際平和協力任務に関しては警察の任務であるとすれば、警察庁は前向きに動く。自衛隊法の改正で、国際平和協力が国内の防衛と並び、本来任務に格上げされたことで、自衛隊の役割や体制も大きく変わっていた。警察に関しても、応用できる。
A上杉
オーストラリアの警察には国際平和協力の部署(IDG)がある。カナダの警察では、定年時に定年を一年延長して国際任務に参加する事例があった。経験のある警官が定年後1年さらに働けることになる。大きなやりがいになっている。定年後でも現役でやれるというような人はたくさんいる。仕組みづくりさえできれば良い。日常業務ではなく、国際的な活動への貢献を通じて警官をモチベートできる。SSRの部門もあるので法務省の関与も必要。
⑨質問者
東ティモールにも調査にいった。アイルランドの部隊の調査をした。なかなか民間の話はでない。NGOにインタビューしてもPKOの話は出ない。NGOばっかりのところは自衛官もいない。資機材を残してきたとあったが、自衛隊がいたときに交流があったのか、定期的に会合などがあったのか聞きたい。民間のシビルとミリタリーの連携が王道だと思う。そういう傾向はあったか。
A本多
東ティモールでは、NGOの活動に余暇で自衛官が入っていた。協働でのマングローブの移植など。そう言ったところで交流があった。ただし、自衛隊的な平和構築とNGO的な平和構築がきれいに別れていた印象は確かにある。しかし現在は割と接近してきて、それが本書での新しい点でもあった。
A上杉
ハブになる人がいると民軍で一気に接近、交流できる。東ティモールでは自衛隊員とNGO関係者が日々和気藹々と交流している状態だった。
A宮島
国によっては防衛省にあるが、内閣府にPKO本部があるというメリットを使える面があると思う。いろんな場の知見を活かせる場をつくっていきたい。国家安全保障会議や国家安全保障局との関係を大事にしつつ、さまざまなプレイヤーと前向きに物事を進めていきたいと思う。
A長谷川
国連の方ではどうしているかという質問があった。Delivering as One、All United Nationsという発想ができて、それなりに進行した。ただ国連はすぐ制度化して、関係機関に参加と報告書を出す義務を課す。そうすると世界銀行などは、自らが主体となる貧困削減戦略書(PRSP)を提唱した。国連本部のPKO局(DPKO)も自らの下での統合戦略枠組み(ISF)を作成してやっていく。それによって現場にいる人にとってはものすごい文書作成の負担がかかる。制度化することによって、現地のスタッフがどのように効率的に仕事をやっていけるか熟慮する必要がある。
PKOの現場では派遣されてきた警察官同士が見解の違いで喧嘩になる。ときには撃ち合いになる。むかし、名古屋空港の敷地に、国連警察学校(United Nations Police Academy)を作ったらどうかと、麻生総務大臣(当時)に提案したことがあった。
国際社会で必要なニーズを日本が満たせることは何か。日本がアフリカの社会の土壌にあったノウハウを知らなくても貢献できる。日本政府はアフリカの平和訓練センター(Peace Training Centers)に貴重な資金支援をしている。自らのニーズを自ら判断して、どうやって平和をつくるか考えてくださいとしている。
オールジャパンで、サプライ・ベースでやるのも良いが、デマンド(需要)ベースで、それにいかに答えていくことができるか。それをするためには、ノウハウをもっていなくても良い。
国連のPKOの原則がある。むしろ哲学がある。西欧社会は国を三つの条件を満たすことによって成功するという哲学がある。一つ目は機能する国家。国家建設。二つ目は法の支配。政治においては、公私混同はいけない。三つ目はアカウンタビリティー。すなわち現地の市民にたいするアカウンタビリティーがある。現地で平和構築の支援活動をしている人が日本や現地の政府にだけアカウンタビリティーがあると思っては、現地のニーズと乖離する。
西欧社会は法の支配に自由・平等・正義の概念を一体化している。こういう彼らの正義感とは、カントの、ジョン・ローズの正義感。それがない場所には入って行って、必要なら武力を用いてでも制度改革を行う。その結果、ときには国が壊れてしまうこともある。一国の人たちが世界のすべての国々に共通する一つの解決策があると思っていないことを学んだ。現地の指導者と市民との対話が必要である。日本はそこに長けている。その上で一緒になって日本全体でやっていければ良いなと思っている。