日時 2016年8月4日(木)18:00-20:00
場所 法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー26階 A会議室
内容/登壇者
▼開会の辞
北岡伸一(国際協力機構 理事長)
▼報告者
片岡貞治(早稲田大学教授)
「日本のアフリカ戦略と対南スーダン支援」
吉富望(日本大学教授、元陸将補)
「安全保障・危機管理の視点から見たアフリカにおけるオールジャパン連携」
村田慎二郎(国境なき医師団 前南スーダン活動責任者)
「南スーダンにおける文民保護の現実と課題」
上杉勇司(早稲田大学教授)
「南スーダンにおけるオールジャパン連携の今後に向けての提言」
▼コメンテーター
徳地秀士(政策研究大学院大学 シニア・ フェロー、元防衛審議官)
井上健(国際協力機構 民主化支援・ガバナンス担当国際協力専門員)*
*個人の資格で参加したものであり、発表内容は所属する組織の意見・見解ではない。
井上実佳(広島修道大学 准教授)
【議事録】
藤重
· 日本の平和協力に関して長年、研究会を続けてきた。近年はオールジャパンに重きをおいている。直近では、自衛隊を派遣しているなど日本のプレゼンスのある南スーダンに焦点をあてている。通常、これまで非公開で研究会は行ってきた。しかし研究成果を広く世間に発信しようという思いから、今回は公開シンポジウムを執り行う次第になった。
北岡「開会の辞」
片岡:報告「日本のアフリカ戦略と対南スーダン支援」
· 今回、何が言いたいかというと、南スーダンに対する日本の対処方針は間違っていなかったということ。筋違いではなかったということ。
· 昨今、対アフリカ戦略に関して、とかく日本は中国と比べられ、後塵を拝していると批判される。TICAD(アフリカ開発会議)は、むしろ中国の近年の関与(FOCAC)より以前からに行われている。日本はアフリカに対して以前からコミットしていたのである。近年アフリカ経済が成長気流に乗り、人口が毎年1億人ずつ増え、21世紀におけるアフリカ争奪戦(Scramble for Africa)が起こっている。今や中国は、アフリカのほとんど全ての国に大使館(51カ国)(残りの三カ国は台湾と外交関係を維持している)を持っている。トルコも昔は20個ほどだったが、現在は40個ほど持っている。アフリカの状況は、このように変化してきたが、それより前からサポートしていたのが日本だ。しかし、日本とアフリカの関係はODAベースの関係であった。国際的には2006年より貿易投資額が援助額を上回ったが、日本は出遅れた。TICAD IVがターニング・ポイントとなり、日本も他国にキャッチ・アップし、ODAベースの関係からの脱却を目指し、貿易投資に目を向けるようになってきた。
· 日本とアフリカ間の最大の問題は距離感である。地理的にも心理的にも遠い。エチオピア航空が去年より直行便を飛ばしているが、香港でのトランジットが必要で、最低でも18時間以上かかる。北京からは直行便で、13時間でいける。そして心理的にアフリカは遠いのである。
· それを変えてきたのがTICADプロセスだ。元々は国連代表部からのアイデアがTICADの発端。安保理非常任理事国の選挙対策として、発展途上国の支持を得るための外交イニシアティブであった。TICAD開催以降、アフリカにおける日本大使館の数も増えた。実際には、13個の大使館が新設された。当時では考えられない所にある。今では旧宗主国イギリスの実館数(28)よりも多く、34館ある。
· 外務省の人事も大きく変化した。アフリカ担当の参事官が中近東アフリカ局に置かれたのはTICAD I以降である。現在はアフリカ部が設置されている。TICAD Iの時とは異なり、TICAD III以降は優秀な行政官がアフリカの大使館やアフリカ1課、2課に配置されるようになった。官房長官秘書官や総理秘書官、総政局長になるような人が配置されてきた。これはTICAD開始以前とは大きく異なっている。アフリカの大使を経験させてから幹部に登用するというキャリアパスも形成されてきた。そういう人事は、かつてはありえなかった。
· TICADプロセス自体にも変化があった。最初は開発理念だけだったが、貿易関連の民間セクターが横浜でのTICAD IVから関与するようになってきた。紛争問題にも関与してきた。日本は2000年の九州・沖縄サミットに三人のアフリカの首脳を招待し、G8とアフリカの関係構築の先鞭をつけた。
· スーダンに関していえば、横浜(2008年開催のTICAD IV)の奇跡という出来事があった。すなわち、アフリカ大陸でも滅多に実現することのないスーダンのバシール、エリトリアのイサイアス、エチオピアのメレスの三者が顔を合わせたのである。アフリカでは「横浜の奇跡」とすら言われている。仲が悪く、アフリカでは決して顔を合わせなかった「アフリカの角」地域の首脳たちを日本が横浜で会わせたのである。このような日本の外交努力が世界中であまり知られていないのは残念である。
· スーダン、南スーダンは、かつては日本外交にとって極めてマージナルな存在だった。外務省の中東1課(中近東1課)が所轄し、防衛庁からの出向者が担当していた。中東1課にとっては、中東和平が第1だ。しかしダルフール紛争と、南北包括的和平合意(CPA)の時、アメリカが積極的に、この地域にコミットした。これを受け、外務省のアフリカ1課に配置換えを断行した。これは極めて重要な政治的かつ行政的な決断であったと考える。アフリカ1課がスーダンと南スーダンを担当することになり、これが後の国連平和維持活動(PKO)(UNMISおよびUNMISS)への自衛隊の派遣のきっかけともなった。
· 南スーダンのディンカ族とヌエル族はずっと対立していたわけではない。今回の件(2016年7月)で殺されているのはヌエル族側だ。ヌエル族で元副大統領のマシャールは逃げた。アフリカ連合(AU)関係者は、キールもマシャールも双方辞任すべきだとしている。国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)が既にいるが、それに加え4,000人規模のAUの平和維持部隊を送ろうとしている。ケニア、エチオピア、ルワンダは乗り気である。しかし、ウガンダはキールと繋がっているので、これを拒否した。キールも拒否している。結局のところ、キールもマシャールも力不足だ。チャドのデビーがAU議長として今頑張っている。8月に二人をンジャメナに呼ぼうと調停の努力をしているが、難しいかもしれない。
吉富:報告「安全保障・危機管理の視点から見たアフリカにおけるオールジャパン連携」
· 本報告では、安全保障や危機管理の視点からアフリカをみてみる。自分自身が自衛官だったという立場から、危機管理に重点をおいて話す。安全保障からみるとアフリカには課題が累積している。海賊、組織犯罪、人身売買、密入国斡旋、難民流出、災害、エボラ出血熱のような感染症など安全保障上の課題が累積している。
· 日本にも影響はある。直接的な影響は日本人への危険被害。間接的には日本経済への影響がある。1997年、エジプトのルクソールでテロがあった。日本人が10人殺された。2008年、ソマリア沖アデン湾で、日本の船舶が海賊の襲撃を受けた。2013年にはアルジェリアで日本人の人質10人が殺された。2015年、チュニジアでも日本人観光客5人が殺された。他にも間接的な被害がある。
· ここに日本がどう関わっていくかというところが国際社会からみられている。アメリカにならび日本の重要なパートナーである欧州の関心はアフリカにいく。欧州のアジアに対する関心が下がっていく。このような影響もある。
· 防衛省・自衛隊はどうしてきたか。モザンビークへのPKO派遣、ルワンダ難民支援、スーダンのPKOの司令部要員派遣、ソマリア海賊、南スーダン、またアフリカで最初の例となる西アフリカへの国際緊急援助活動(エボラ対応)等を行ってきた。
· 次は危機管理の話をする。危機管理・危機対応はアフリカでは非常に難しい。情報の不足がまず大きい。ネットワークが十分ではない。何よりも日本は遠く、対応に時間がかかる。また日本ができない部分を助けてくれるパートナーが確立されていない。危機対応に関する連携ができていない。
· そのなかでも防衛省・自衛隊が関わった事例が2つある。最近の南スーダンに加え、ルワンダでNGOを自衛隊が輸送した事例がある。あくまでも輸送であり、駆けつけ警護ではないが、物議を醸した。今回の邦人退避に関してメディアに出た範囲内で何が課題だったかおさらいをしたい。
· 時系列で事態の推移をおっていきたい。7月9日、戦闘勃発、150名死亡。10日、安保理で緊急会合。11日、C130輸送機のジブチへの派遣を命令。13日、国際協力機構(JICA)の関係者が民間のチャーター機で退避。14日、まだ深夜だったが、自衛隊機がジブチへ到着。大使館関係者4名が退避。
· 問題提起をする。一つは、事前に邦人退避の計画があったのか。計画はあるが、それを変化する事態に応じてアップデートしていたか。アップデートされた計画にもとづいて訓練していたか。実際、自衛隊を動かして訓練となると難しいが、図上の訓練でも良い。
· もうひとつは、情勢はどうなっているか。情報を集め、整理して、分析していたか。いろいろな情報を集約一元化して分析できていたか。情報はひとつひとつの組織がかかえこみがちになる。
· 早さはどうだったか。10日の時点で、訓練名目で自衛隊機をジブチまで飛ばすといったことは可能だったはず。邦人救援ではない。訓練名目でできる。
· 各省庁が連携して危機対応できていたか。オールジャパンでの連携が不可欠だ。誰が中心となって指揮統制(command & control)を行うか。東京と現地にハブが必要だ。大使館にはまだその能力はない。2カ国をまたぐ危機にはどうするかなどと考えると、大使館では不十分かもしれない。危機対応センターのようなものをアフリカ、たとえばジブチに置く必要があるかもしれない。
· 防衛駐在官が大使館にいる。かつてはエジプトにしかいなかったが、それ以降7カ国に増えた。またアフリカの情報をとれるフランスやイギリスの大使館にも増員してきた。
村田:報告「南スーダンにおける文民保護の現実と課題」
· 昨年7月から今年の6月まで南スーダンにおける国境なき医師団(MSF)の活動責任者として赴任していた。「南スーダンにおける文民保護の現実と課題」と題して、MSFの視点から南スーダンをみてゆく。MSFの強みは活動資金の9割が民間からきているということ。資金面でどの政府からも独立している。真に現地の人のための活動ができる。70カ国にわたり今では人道援助を行っている。内戦が起きているところなどで活動する上で、安全対策として大事だとしているのは、武器をもったガードマンを雇うといった抑止策ではない。現地の立場や利害関係が異なるアクターに、我々がだれでなぜそこにいて何がしたいかを理解してもらう試みに一番の重きを置いている。コミュニティには、いろいろなリーダーがいる。知事がいて、国軍がいて、また反政府武装勢力がいる。そうした影響力のあるリーダーすべてと握手して、どちらにもつくことなく、ネットワークを形成する。結果的に事前に情報を察知できる。最悪の状況を避ける、緩和することができる。
· どうやって理解を得るか。独立・中立・公平をいつでもどこでも堅持する。透明性を確保する。アメリカ政府と繋がっているのではないか、スパイではないかなどといった疑念を払しょくしていく。日常的に質の高い医療支援を提供する。緊急時においてこそ迅速な援助をする。こういうときにこそ信頼性が高まる。アウトサイダーであり部外者なので現地の文化伝統宗教を尊重し、敬意を払う。これら5つがそろい、例外はあるが、はじめて上手くいく。
· 今日、3,300人のスタッフが南スーダンの17のロケーションで援助を提供している。大きな支援を提供できている。
· 文民保護区というのが国連によってつくられている。マラカル(南スーダンの北東部)での話をする。マラカルの文民保護区には3つ特徴がある。地政学的に重要な位置にあるので、誰がコントロールするかで争いが絶えない。シルク族とディンガ族が争ってきた。大統領が南スーダンを28の州にわけるとしたが、そこでマラカルという土地がディンガ族のものになるとなった。ここで2つの部族の間で緊張が高まり、ディンガ族が攻めてくる、シルク族が攻めてくる、などのうわさが絶えなかった。
· 2つ目の特徴は、非常に密集しているということ。劣悪な状況の中、避難を余儀なくされている。Public Health(公衆衛生)の概念、国際標準をことごとく下回っている。1つのトイレを70人の避難民で共有せざるを得ない状態だ。10リットルの水で1日のすべてをまかなう。日本で水洗トイレを使用すると1回で13リットル使う。
· なぜ、そのような劣悪な状況下でもそこにいるか。そこにいれば安全だと信じていたからだ。しかし今年(2016年)2月17日の夜、文民保護区に対して外部より攻撃があり、MSFスタッフを含む少なくとも19名の民間人が殺された。多くの敷地が焼かれた。それはヌエル族、シルク族の地区に集中していた。その間MSFは108人の患者に対し、緊急医療援助を提供した。この間、国連PKOは何をしていたか。12時間にわたって何もしなかった。文民保護が最優先で、そのために設置した文民保護区で銃声や悲鳴がきこえるにもかかわらず何もしなかった。安全とされる国連の滞在している地区のゲートを開けさえもしなかった。MSFとしては国連に対して文民保護区における文民保護に関する提案を4カ月もしていたか何も動きがなかったので、国連が何をしていて、何をしていなかったかレポートを公開した。
· このマラカルの例は象徴的な例だ。他にも停戦後8か月のあいだに30カ所以上の場所で武力衝突を確認している。国民暫定政府ができたあとでさえ10回もおきている。今回のジュバの件だけではない。
· 日本政府に期待することがある。せめて文民保護区内は文民保護ができるよう改善してほしい。南スーダンでは国際人道法違反のオンパレードなので、日本政府が全勢力に対して順守を呼びかけるようなリーダーシップを発揮してほしいと思う。
上杉:報告「南スーダンにおけるオールジャパン連携の今後に向けての提言」
· 今回を24カ月間の研究成果を発表する機会と位置づけている。研究が専門家による専門家のための、または実務家による実務家のための成果として累積されてきた。これまでは内輪の集まりであったともいえる。だが世に問う機会として、このような場を設けた。
· 先日、国連大学で行ったライブラリー・トークでは、オールジャパンに関して日本の中からだけでなく国際的視点からも検討した。今回は南スーダンにおいての研究成果を報告しようと思う。これまでNGO、自衛隊、JICAなどから様々な報告者を迎え、議論をしてきた。これまでは、オールジャパン連携を日本内の官民連携として語ってきたところがあった。しかし、研究会での実務家からの批判を考慮して、やはり国際的な視点からオールジャパン連携を見直していく必要があるいう結論に辿り着いた。
· 日本の国連PKOへの派遣の形態は、復興支援を手伝うものだった。自衛隊と復興支援をするJICAの協力といった形態だった。これから国づくりをするという南スーダンに教科書通りの支援ができると当初は想定されていた。国連PKOに派遣されている自衛隊はあくまで、そのマンデート(任務)の範囲内で動く必要がある。南スーダンでは自衛隊は国づくりマンデートのなかで任務についていた。しかし治安が悪くなり、文民保護が国連の最大の優先事項となってきた。そういったなかで国づくり、復興支援の連携が難しくなったとき、日本はどうするのか、という問題意識が提言の背景にある。
· しかし、国連PKOのマンデート変化後も変わらずオールジャパン連携は模索されているという指摘がある。他方、PKOとして国際社会に提供したはずの自衛隊を日本の国益のために使うのは問題だとする指摘もあった。
· では、文民保護で、どう連携するか。まさに邦人退避の事案が南スーダンで発生した。国家安全保障会議・国家安全保障局が設立され、法整備のなかで駆けつけ警護のようなことも議論され、制度面で固まってきた。そのなかで南スーダンの事例があがってきた。邦人保護の観点からどのような連携があるか。日本の持ちうる能力と現地のニーズを組み合わせ、復興支援だけでなく、他の形態の連携もやっていくべきではないか。これまでは現場ニーズに基づいた連携だった。今後は法整備も進み、訓練も進むんでくる。そうなったとき、トップダウン型の連携要請が出てくるだろう。現地の情報が少ないなかで、どのようなことになっていくのか。なぜ自衛隊を使わないのか、といったような過度の期待が高まる可能性もある。
<パネル・ディスカッション>
徳地(コメント)
· 高坂正堯先生がかつて言っていたのは、日本は外に開かれた部分に注意を払わないということ。このままだと日本は第7艦隊の盾に守られた島国になってしまうと50年前に言っていた。スーダンの国民投票の際、日本はヘリを派遣しなかった。これを中満泉さん(国連高官)が嘆いていたのは、わずか6年前のこと。
徳地→吉富(質問)
· 情報が少ないとあった。防衛駐在官でも不十分だし、機能するのに時間がかかる。どのような形でここを改善していくか聞きたい。2010年、スーダンPKOにヘリを派遣する話があった。しかし見送られた。なぜ派遣しないのかと読売新聞は社説で批判した。この件に関する検証は関心が高くないので余りされていない。検証する必要がある。意思決定に関して、情報を早くとって早期に判断する必要がある。1997年のカンボジア危機と、その翌年のインドネシア危機の際は、自衛隊機をいざとなったらいつでも現地に飛び込めるようにシンガポールなどに派遣していた。訓練名目というよりかは、正当な意思決定というプロセスを踏むべし。
吉富(回答)
· 情報能力だが、収集の観点からまずみる。民間やNGOなどいろいろな、ばらばらな情報を収集できるところがある。それらをどう集約するかが大事。東京、アフリカでいかに集約する仕組みを作るかだ。収集だとやはり現地人を雇う必要がある。お金がいる。アフリカ情報専門家も防衛省につくるべき。
· 迅速な危機対応だが、日本の場合、2016年7月上旬の南スーダンの危機に際して自衛隊機派遣の決定は11日になった。なぜそうなったか。その日が参議院選挙の投票日だったからなのか。しかし、もっと早い決心はできたはずだ。
· オールジャパンは目的ではない。あくまでも手段のひとつにすぎない。オプションだ。適切でないときは、使わない。ただ、使えるときのために準備しておかないと使えない。そのときに機能するように準備する必要がある。
徳地→片岡(質問)
· 国民の心理的な遠さとあったが、どう関心をあげていくか。片岡先生は『国際問題』の論文で、若者をテロ集団に参加させないための包括的取り組みが必要だと述べておられるが、この点について具体的にききたい。
片岡(回答)
· 心理的な距離は難しい。一般の日本人はまずアフリカに興味はない。TICADなんて発音できる人の方が少ない。地道にいろいろな面で、新聞もそうだがメディアに出していく努力をしていく必要があると思っている。メディアの記者の知識もない。新聞社の人ですらアフリカに関する知識がかけている。ただそれも徐々に変わってきていると思う。
· テロの話では、ナイジェリアのボルノ州では、警察に入るよりボコハラムに行く方が良いと若者は思ったりしている。いかにそれを避けるか。政府が行うべきだが、北部にはガバナンスは及ばない。国際社会全体で包括的に取り組むべき。
· 西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)、南部アフリカ開発共同体(SADC)など地域機構には、平和基金のようなものに微々たる予算を日本政府は拠出している。AUのアフリカ連合スーダン・ ミッション(AMIS)への支援も然りである。しかし、サブ・リージョナルな具体的なプログラムには経済協力予算を充てるのは現状では困難である。技術協力も行っているが、微々たるものだ。
徳地→村田(コメント)
· ご指摘があった国際人道法についてコメントしたい。日本は1977年の2つのジュネーブ追加議定書に当初は反対していたが、結局、有事法制をつくるときに、これに加盟したのだから、国際人道法違反について、日本はもっと声をあげるべきだと思う。
村田(応答)
· 現地では国際赤十字やMSFが人道法について話すが、影響力は限定的だ。日本政府のよう強い影響力を持つものが人道法の普及をやっていってほしい。
井上健→上杉(質問)
· オールジャパンはそもそも3Dというところをモデルにしているという印象を受けた。本来3Dは、欧米諸国がどうテロから国を守るかという思考が中心にあった。そう考えると民間やNGOとの連携など無理があるのではないか。国防のため、安全保障や治安維持なら警察や防衛省などの枠組みで考えるべきだと思う。
上杉(回答)
· オールジャパン・アプローチは欧米の3Dとは違う。安全保障が軸である3Dとは違う。オールジャパンは復興支援が目標であり、それのためにあらゆるアクターと協調してきた。そこで大きく欧米型とは違う。ただし欧米型3Dのように治安維持を目的とした活動は、日本は何もできなかった。今後はどうすべきか。もっと治安が悪いところで、どのような支援が可能かも考えていくべき。
井上健→上杉(質問)
· 現在16あるPKOのうち9つがアフリカに集中している。日本は1つにのみ派遣している。特別政治ミッションはさらに多く、ソマリアやリベリアなどにある。今のようにUNMISSだけで民軍連携をやるというのでは限界がある。
上杉(回答)
· 日本が復興支援のための施設部隊を派遣している国連PKOは南スーダンのみだ。医療、輸送支援、給水、司令部など多様な機能を埋めていくという観点から派遣を考えれば、派遣できるPKOのオプションも増えていく。
井上健→上杉(質問)
· 日本の場合は、国連を中心した集団安全保障に絡むべきである。そうなると文民の保護をいかにやっていくかとなっていく。付随的被害(collateral damage)というが、偶発的に現地人を殺してしまうといった事態にどう対応するのか。オールジャパンの枠組みで、どの程度救援できるか。救援についても国連の日本人職員は国連の指示のもと動く。司令塔に関して話があったが、それで民間人も対象にするのか。人道支援には独立原則があり、この点でオールジャパン連携は難しい。
上杉(回答)
· 人道支援の現場で、いかに日本のNGOを巻き込めるかだが、対話をしつつ、できるところとできないところを見極めていくべき。そういった話し合いを進めていく上でオールジャパンの概念は重要。
井上健→村田(コメント)
· 非武装の姿勢は重要だが、スポイラー問題などもある。コミュニティの外から来た人に襲われるなどといったこともある。そのようなときに、いかに抑止となる武装をしているか、警備をしているかも大事。
村田(応答)
· 武装警備について、MSFは70カ国で働いているが、警備を雇っているプロジェクトはない。かつてソマリアでやっていたが例外的だ。なぜかといえば、まず自分たちの武力が相手のそれをうわまわる保証はない。またアクセプタンス(信頼)を取りに行っているのに武器は持てない。医療団体ということもある。その代り、リスクをできる限り下げる努力をしている。
井上健(コメント)
· そもそもとして、自衛隊でなく、軍事の前の段階でやるべきことはいっぱいある。最終的にはオールジャパンとは人間の安全保障に関連してくる。人間の安全保障はプロテクションとエンパワーメントで構成されている。これまでプロテクションに関しては、ODAで、インフラ整備ばかりだった。もっと仕組みづくりをすべき。ガバナンスなどの面でオールジャパンを進めていくべき。
井上実佳(コメント)
· 関係国の政治的意思が国際平和協力の内容をつくるという部分は大きい。オールジャパンをやっていく上で、日本も(政治的意思を)対外的にいかに使うか考えるべき。国家としてしかできないことを国連でやってほしい。アフリカの重要性があがったとあったが、やはり政治的意思が背景にはある。対アフリカ、対国連へ、どう働きかけていくか。日本は国連やバイだけでなく、地域的枠組みにどの程度働きかけてきたか。どのPKOも分業体制にある。司令部に先進国が要員を派遣し、途上国は部隊に人を出す。そのような形がはたして良いのか考えていく必要もある。日本は国連がつくるこのような仕組みにのっかるのではなく、自分たちでつくっていく、インプットしていくことが重要だと思う。
村田(井上実佳のコメントへの応答)
· 文民の保護に関しても日本政府は国連に多額の金を拠出しているので、物言う株主ではないが、もう少し強く言ってほしいと現場で働いていて感じている。
<フロアからの質問>
質問①
· なぜ南スーダンでPKOが失敗したか。軍事組織はどう考えているか。
吉富(回答)
· 駆けつけ警護はどこまでできるか。これは環境に左右される。危険度に左右される。オペレーションをやるときの情報量にもよる。現地政府や他のパートナーの支援にも左右される。ただかなりの準備が必要だということは言える。自衛隊は今それを育成しているところだ。
· 軍事組織がどこまで人道支援を担うのか。これも軍の性格によって全然違う。自衛隊に関していえば、東日本大震災などで、どう活動したかをみてみるとよい。自衛隊のように被災者に寄り添う姿勢を持った軍は人道支援でも貢献できると思う。
村田(回答)
· マラカルの文民の保護は完全な失敗だと考えている。どうして失敗したかは分かりかねる。現在内部で調査・検証が行われていると思う。内部の情報が公になるのを待っているところだ。何かあったときに、できるだけ被害を少なくする手立てを考えるのが大事。
質問②
オールジャパンを今後どのように拡大していくべきか。
上杉(回答)
· オールジャパンをどこに広げていくのか。JICAが既に活動しているところで自衛隊を含めない形でのオールジャパンもありうる。ミンダナオの事例もある。エボラのときはどうだろうか。あれは西アフリカで発生したが、例えばマレーシアなど距離的に近いところであれば対応できたのか。エボラのときに対応できなかった理由は、風評被害が大きい。援助従事者が現地で感染して日本に帰ってきたらどうするのか、という国民の不安があった。そこのマネジメントをできなかったのは政府の責任。そこをやっていくべき。自然災害でもオールジャパンをやっていける可能性はたくさんある。オールジャパンはPKOに限る話ではない。
質問③
南スーダンでオールジャパン連携をする根拠は何か。
上杉(回答)
· 国家安全保障戦略と開発政策大綱においてPKOとODAの連携は高々とうたわれている。このような基本政策においてオールジャパン連携は支えられている。また、南スーダンにはアメリカの関与が大きい。対米外交を考えると、南スーダンを支援する理由・根拠はたくさんある。
質問④
ソフト・パワーという観点から、日本の支援の強みは何か。
上杉(回答)
· 日本の強みは国づくりだ。また、(現地)要請主義という特徴がある。例えば、南スーダンでは、文民保護のためのより力強い部隊の派遣を欧米は重視してきている。他方、南スーダン政府は国づくりをしてほしいと思っている。欧米はこれに耳を傾けない。そこを日本が汲み取り、優先課題としていくようなことができないか。人間の安全保障の観点から現地のコミュニティに向けてやっていくのが日本の強みもあるので、これも検討すべきだ。
<モデレーターの総括>
藤重
· なぜ南スーダンか。現在日本は南スーダンに力を入れている。そこでやって、他への先例としていけばよいのではないか。オールジャパンは、これまで自衛隊ありきでやってきたが、必ずしもそうではないという発見は大きかった。